文系出身で、通訳から、IT、工業分野の翻訳を経て医薬の翻訳者になった akoron さんにインタビュー

●  文系出身で、通訳から、IT、工業分野の翻訳を経て医薬の翻訳者になった akoron さんにインタビュー

こんにちは。田村恵理子です。

様々なご経歴、お仕事の方に、これまでの英語との関わりや、お仕事と英語についてインタビューさせて頂いています。

今回は、広島を拠点に活躍されている、医学、薬学の翻訳者の akoron さん、こと、畝川晶子さんに、お話をうかがいました。

畝川さんは、元々は、通訳からキャリアを始められています。また、翻訳を始めた当初の専門分野は、ITでした。

最近は、英語俳句の翻訳や、投句もされているそうです。

翻訳者を目指す場合にも、通訳を目指す場合にも、英語俳句に興味がある場合にも、参考になるお話が、盛りだくさんです。

英語の勉強法:医学・薬学の翻訳者・通訳者

目次

広島の呉市、軍港都市で過ごした子供時代に、英語が好きになった要素が?

生まれは、広島の呉市です。先祖代々、住んできた土地です。

呉市は、軍港都市です。外食に行くと、必ずと行っていいほど、外国人の水兵さんがいました。

幼稚園の頃から、外国人がいると、すごく愛想よく近寄って行く子でした。

日本人に対しては物おじする子供でしたが、なぜか、外国人は怖くなかったのです。

小さい頃、お父様が、グッドモーニング、グッナイト、シーユーなどの、カンタンな英語の挨拶を教えてくれました。

もしかしたら、このような環境の影響で、英語が好きになったのかもしれません。

英語を使う国際的な仕事につきたいと思った高校時代、翻訳者は対象外でした。

子供の頃に、なりたいと思った職業は、最初は漫画家で、次は小説家でした。

高校生の頃には、漠然と、英語を使った仕事ができればいいかな、と思っていました。

ただし、翻訳者になりたいとは、思いませんでした。

当時、英文科といえば、シェークスピアを読んだり訳したりするイメージでした。それは、あまり好きではありませんでした。

それよりも、英語を手段として使うお仕事に興味がありました。たとえば国連のような、ダイナミックな仕事を、なんとなくイメージしていました。

国際関係の仕事をイメージしながらも進路選択で挫折し、国文科に進学しました。

大学進学を考える際も、そのような国際関係の仕事につながるような進路を思い描いていました。

ところが、思いもかけず、進路選択で挫折を経験することになりました。

進学したいと考えていた大学に願書を出した後、ご両親からストップがかかったのです。

当時、ご両親は、女性が仕事をしていくというイメージは、描いていませんでした。近くの大学を出て、花嫁修行をして、というのが、当時の一般的な考えでした。

はじめは、本人が望むなら受験だけはさせて、合格しても行かせなければ良いと思っていたようでしたが、願書提出後に、やはり駄目だということに、なりました。

進学のためとはいえ、可愛い娘が一人で東京に出ることを、よほど心配したのでしょう。

ご両親の反対を押し切って、家を飛び出して、自力で大学に行くわけにもいきません。すでに願書を出した後の段階でしたから、進路設計が一気に崩れてしまいました。

結局、地元の大学の国文科に進学しました。

国文科に在籍しながらも、古文は、あまり好きになれず、できるかぎり避けていました。

むしろ、他の科目に興味がありました。よその学部に潜り込んで授業を受けることもありました。英検一級講座も受けていました。数学などの理系の科目も、楽しいと思いました。

同時通訳コースに通いながらも、地方で通訳で自立するイメージが描けない日々

大学を卒業してから、本格的に英語を学び始めました。

英会話も習いましたが、もの足りなくなり、広島での同時通訳のコースに通いました。

同時通訳コースの先生は、呉市の高校の大先輩でした。西日本で、ナンバーワンと言われるような先生でした。

そのような先生でも、通訳の仕事の傍ら、英語を教える仕事もされていました。当時は、地方では、教えながら通訳の仕事をするのが定番でした。地方で、通訳のみで生計を立てることが、難しい時代でした。

同時通訳のコースに通いながらも、先が見えない感じがしていました。英会話では物足りず、もっと英語を勉強したいと思いながらも、同時通訳で自立できる訳ではないと感じていました。同時通訳科には、同じような人が集まっていました。

翻訳の専門雑誌に、同郷で、翻訳をされている方の記事が掲載されたことがありました。羨ましく思いながら、読みました。その方も、結局は、東京に移られたようでした。

英語を教えながら、国際会議やイベントで単発の通訳の仕事をしました。

同時通訳のコースに通いながら、単発の通訳の仕事を受けるようになりました。

ボランティア通訳も、有償の通訳もしました。

軍縮会議、市長会議、国際アニメーションフェスティバル、各種セレモニー、パーティー、インタビューなど、様々なイベントがありました。

会議に伴う、小旅行や遠足、クルージングに同行することもありました。普通では、なかなか体験できない面白い体験もしました。

アニメーションフェスティバルでは、カナダ人の審査員付きの通訳を務めました。小旅行の時に、手塚治虫先生と、お話をする機会もありました。

その他にも、カープとアメリカの野球チームのレセプションや、ロータリークラブ、企業の留学生対応など、様々な通訳をしました。

もっとも、通訳で生計を立てることができていた訳ではなく、単発の通訳と並行して、英会話や、クリエイティブライティングを教える仕事もしていました。

地方での通訳の仕事に限界を感じ、翻訳も気になり始めた頃

通訳のお仕事に、限界を感じることもありました。

通訳では、専門分野の基本的な知識が大切です。通訳で扱う分野に通じていれば、ある程度は、推測する能力から訳せることもあります。

同時通訳のコースの授業で扱うトピックは、主に、政治経済でした。

現在は、ニュースなどの最新の英語の情報が、インターネットで、すぐに手に入ります。しかし、当時は、そう簡単ではありませんでした。

自宅で、衛星放送の二ヶ国語放送で勉強をしていましたが、だんだん、限界を感じるようになりました。

そのような中で、同時通訳の先生に、翻訳にも興味があります、と言ったことが、ありました。

翻訳の場合は、後々まで自分が翻訳した文書が残ります。

通訳とは別の怖さがありますが、もしかしたら、性格的に、翻訳の方が合っているかもしれないと思いました。

広島アジア競技大会の翻訳、通訳の専門職員として6年間フルタイムで働きました。

そのようなタイミングで、首都以外の都市で初めて、広島でアジア競技大会が開催されることになり、その専門職員として仕事をすることになりました。

アジア競技大会が開催される前の準備段階から、開催期間中、開催後の報告書作成まで、6年間にわたり、フルタイムで働きました。翻訳、通訳の専門職員です。

開催前は、各国の競技団体やオリンピック委員会に配布するための、ルールなどのハンドブック、リーフレット等を英語で作成しました。

通訳業務も多岐にわたりました。

施設のチェックに来日する技術委員のために、技術検証の通訳をしたり、検証後の会議の通訳をしたこともありました。評議会の会長が協定を結ぶために来日した際の通訳もしました。大使館での大使インタビューの通訳、プレスやマスコミの対応もありました。

国際会議場での会議にあたっては、会議の準備と、資料の準備もしました。世界中から来日される方々のために、そのホテルガイドも作りました。

ホテルで部屋を借りて会議が開かれた時は、深夜に及ぶ会議の間、別室に詰めて翻訳をしました。

夜中ですから、派遣やバイト、ネイティブチェッカーもいません。隣の部屋で幹部職員の方が話されている内容も、時事刻々、変わります。10分おきに翻訳もやり直したりしました。協定書の中にある数字も億の単位になります。眠くても間違えないように、チェックしながら、上司と二人で、睡眠時間2時間くらいで頑張りました。

英語ができても、分野を問わず準備なしで翻訳、通訳できるわけではありません!

アジア競技大会の専門職員として働いた期間は、本当に大変でした。土日も2日休めることなどなく、残業100時間以上が、当たり前でした。

まわりの方は、通訳者、翻訳者について、あまりご存知ない方が、大半でした。英語さえできれば、どのような分野でも、準備なしに通訳、翻訳できるだろうという前提で、仕事を依頼されました。

プレスが入るような会議でも、前もって知らせてもらえず、呼ばれて部屋に入ると、カメラがずらりと並んでいたこともありました。

途中からは、自分でも常に、万一に備えて準備するようにしました。休みの日に準備したり、資料を事前に探して回ったりしました。

同時通訳のコースも、はじめは働きながら通っていましたが、途中から忙しくて行けなくなりました。

通訳も翻訳も、実践で経験を積み、学びました。

アジア競技会の公式報告書作成の仕事では、翻訳、出版の工程も経験しました。

アジア競技会の専任の職員となって、はじめは、通訳も翻訳も、全部一人でしていました。

途中から、通訳と翻訳の両方は、とても手に負えなくなりました。通訳と翻訳の一部を大阪の会社に委託することになりました。

アジア競技会の終了後は、報告書の出版が主な仕事となりました。

競技会の組織委員会は、公式報告書という、辞典のような厚さの本を作り、国際オリンピック委員会に提出する義務があります。様々な分野にわたる競技会の報告書です。

振り返ってみると、報告書で扱ったテーマの中で、医事衛生は、今の医薬翻訳と通じる部分もあります。

公式報告書を作る過程で、翻訳もしましたし、発注側として、翻訳会社との取引もありました。全体の工程がつかめたことが、後にフリーの翻訳者として仕事をする際にも、役立っています。

ネイティブチェッカーに、翻訳の校正をしてもらう際は、英語でディスカッションしながら、仕上げていきました。この時期に、英語で考える思考回路が形作られたと思います。

翻訳分野は需要を考えて、出版翻訳よりもIT分野を選びました。

アジア競技大会の専門職員の6年の任期を終えて、次の仕事を探すにあたり、フリーランス翻訳者として仕事をはじめることにしました。

フリーランスとなった当初は、専門をIT分野にしました。当時は、インターネットが本格化していく時期でもありました。

出版の翻訳のお話もありましたが、出版の印税では、食べていける状況ではないと聞いていました。

翻訳は、生活していくための手段でも あったので、需要の多さを第一に考えたのです。

最初は、ご縁がつながったソフトウェアの会社から、お仕事を頂く形で始めました。

文系出身の翻訳者の、IT、技術の勉強方法

何事も、勉強する際には、仕事をしながらOJTで学ぶのが、一番力になると思います。

ITについては、ソフトウェアの会社から頂く仕事をしながら、必要な勉強をしました。

元々、パソコンについては、それなりに経験はありました。

パソコンは使ったことがあるとは言っても、ソフトウェア会社の翻訳の仕事は、開発者向けのマニュアル等の専門的な文書です。必死に勉強しました。

コンピュータ言語や、HTMLなど、 何万円もする本をポンポン買って、読み漁りました。

今ならインターネットでカンタンに調べられることも、紙の本で調べる場合は、まず、どこに書いてあるか、わかりません。

たった一行の情報のために、お金もかけて、ページをめくって、探しました。

放送大学を利用して、情報工学、電気電子なども勉強しました。

ニフティーサーブのフォーラムでも、パソコンや技術について学びました。

ニフティサーブの専門の技術をディスカッションするフォーラムにも、頻繁に出入りしていました。

そのうち、パソコンも自分で分解してみて、CPUやメモリを自分で交換してみたりもしました。

ニフティーサーブのフォーラムは、今のインターネットほどの情報量はありませんでしたが、当時としては様々な情報が集まっていて、色々と勉強させてもらいました。

地元での、小さなオフ会にも参加しました。

オフ会は、まさに異業種交流会でした。電力会社の方、会社の社長さん、ソフトウェア関係の方など、様々な分野の方が集まりました。

オフ会では、パソコンを持ってきて実演が行われることもありました。それを見せてもらったり、ザウルスで赤外線通信をしたりも、しました。

ニフティフォーラムでは、翻訳者の集まりよりも、このような技術系の集まりに、よく参加していました。

当時は、ハンドル名で、やりとりをしていましたが、後になって、思わぬご縁で、つながったケースも、結構あります。

長い間お目にかかっていなかった方と、頻繁に会う関係になったり、共に今は医療翻訳をしていたり、セミナー等で会う機会があったり、広島での勉強会に参加してくれたり、ご縁は不思議だなと思います。

ITから、工業全般、医療機器へと翻訳分野を広げました。

やがて、取引先を増やしたり、依頼を受けたりして、ITから、工業全般へと、翻訳分野が広がっていきました。

工業分野の翻訳の仕事の中には、医療機器もありました。

医療機器の翻訳には、機械に関する部分と、臨床試験に関する部分の他に、生物学的安全性試験等に関する非臨床も関連してきます。だんだん、医学に関する文書を翻訳する機会も増えてきました。

数年間は、工業分野と並行して、医学論文や、医療機器の翻訳をしていました。

翻訳するうちに、医療関係の文章を訳すときが、一番、楽しいと思うようになりました。医療は、自分にとっても身近なことですから、興味もあり、もっと色々なことを知りたいというモチベーションもありました。

介護と仕事の両立、そして医薬翻訳へ

一人暮らしで、仕事に打ち込む日々でしたが、突然、お母様が病気で倒れてから、生活が一変しました。日々の仕事に、介護が加わったのです。

それから入院も含め8年半にわたる介護生活の間、翻訳も、それなりの仕事量をこなしていました。

3、4時間の仮眠をとって、日付が変わらないくらいに起きて、夜中に仕事する日々でした。

介護をする中で、通院や入院での治療や手術に付き添ったり、最後は在宅診療の手配をしたり、様々な医療の現場を垣間見ることになりました。

このような経験が、のちに翻訳分野を本格的に医薬に移行するモチベーションにもなりました。

IT、工業分野から、100%医薬翻訳へと分野を変更する覚悟

翻訳分野を変える際には、覚悟が必要です。変更後、しばらくは仕事がなくなるかもしれません。

トライアルに合格しても、すぐ仕事がもらえるのか、どれくらいの仕事がもらえるのかは、人によって、違います。

合格しても、何年も音沙汰がない可能性もあります。

お母様の介護をしていた間は、収入が途切れてしまうリスクは冒せず、工業分野も継続していました。

また、時間的にも、新しい仕事や取引先を吟味する余裕はありませんでした。仕事に追いまくられ、先にきた仕事を、どんどん受けていく形でした。

お母様が亡くなった時、たとえ、一時的に仕事がゼロになっても、今後は100%、医学や薬学の翻訳をしようと思いました。

悲しみに暮れながらも、すぐに翻訳会社のテストを受けました。幸い、2、3日で合格の通知を受けました。それから駆け足で、100%医薬へスイッチしていきました。

その頃、「プロから学ぶ英語の学習法」セミナーと国際翻訳会議における「医薬翻訳者のキャリア形成」セッションの二つに登壇する機会があり、思い切って受けることにしました。度胸はある方かもしれません。通訳をしていたこともありますし、大きな勇気はなくても、小さな勇気はあります。セミナーが始まる前の緊張感は、結構、好きなのです。

セミナーへの登壇がきっかけで、西日本医学勉強会もスタートしました。

比較的、早く、医薬分野に100%移行できたのは、早い段階でテストを受けたこと、長く医療機器・論文に携わっていた経験、同業者との情報交換等が大きかったと思います。

人生は、すべて、ご縁かなと思います。流れ、流れて、医薬にたどり着いたのも、意味があったのだろうと思います。

医薬翻訳と言っても、医療機器、新薬の開発など、さまざまです。

医学、薬学の翻訳といっても、医療機器、学術論文、症例報告、新薬の開発、手技に関する文書など、翻訳の仕事の範囲は広いです。

臨床、非臨床とも、消化器系、循環器系など、体の部分によっても、また違います。

最初は、勉強もかねて、様々な医療分野のお仕事を受けていました。

また、初期は、ほぼ100パーセント、英訳でした。バランスを取った方が良いと思い、違う会社のテストも受けて、和訳の仕事も入れるようにしました。

医薬翻訳の中で、一番好きなのは、医学論文です。症例報告も興 味深いです。

医学の学術論文の翻訳の仕事の魅力とデメリット

論理を立てて、物事を考えるということが、好きです。

学生の時も、国文科に在籍しながら、他の学科に混ざって数学を学んだほど、論理的なことが好きでした。

論文は、論旨を追いますし、英語は、結論が先に出ます。

論旨を追いながら、証明し、結論を導いていく過程が、面白いです。

新しい技術を知ることができるのも、翻訳者冥利だと思います。

ただし、医学論文は、翻訳作業の効率という意味では、あまり効率が良くありません。論文の全文を訳したとしても、量的に、さほど多くないからです。翻訳者によっては、論文は訳したがらない場合も、あるようです。

仕事としては、大型案件と、論文とを組み合わせるようしています。

地方で翻訳者として仕事をするデメリットと勉強会

現在では、取引先との最終面接も、スカイプなどのインターネットを利用してすることも多いです。

ただし、今でも、地方にいることの、デメリットもあります。

翻訳や専門分野の勉強のための各種セミナーは、東京・大阪で開催されることが多いです。交通や宿泊の手配をして、関東・関西に数日行くと、それだけで結構な金額になります。

地方にいると、特に専門分野で切磋琢磨する場が少ないこともあり、現在は「西日本医学英語勉強会」を主宰しています。

翻訳者にとって、英検1級やTOEIC満点よりも、大切なことは?

これから翻訳者を目指す方にアドバイスするとしたら、翻訳は調査が命だということです。

翻訳は、分かっている部分の確認も含めて数十もの辞書を駆使し、内容をリサーチし、仕上げ後の品質管理チェックも行いま す。

そのように、調査しながら進めるうちに、英語についても、専門分野についてもブラッシュアップしていきます。カンのようなものも、養われます。

翻訳者には、調査力、そして、忍耐力が必要です。

一度、訳文を上げた後も、見直してみると、句読法、おくりがな、「てにをは」など、いろいろな問題が見つかるはずです。

新聞社の講座で、産業翻訳者の翻訳講座を担当したことがあります。生徒さんの中には、すでにプロとして翻訳されている方も、これから翻訳者を目指す方もいました。

その中には、いくら教えても、どうしても、じっくり見直しすることができず、ささっと訳して終わりにしてしまうタイプの方もいました。

やはり、翻訳者にも適性のようなものがあり、たとえTOEIC990満点で、英検1級でも、翻訳に向いていないケースもあります。

そのような場合には、翻訳者ではなく、また、別の活躍の場があると思います。

翻訳者には、探究心が必要です。好奇心を持って、真実の真実の真実のところくらいまでを、必ず自分で探り当てようという、探究心です。

語学力があっても、それだけでは、翻訳者にはなれないと思います。

もう一つ、翻訳者は、専門分野を持つことが大切です。そして、専門分野が、興味を持てる分野であることも重要です。そうでないと、ずっとは続かないと思います。

翻訳者と、通訳者に必要な資質は違います。

よく言われることですが、通訳には、強い心が必要です。

誰でも、一生、ノーミスということは、ありえません。どんな仕事でも、必ず、ミスをすることはあります。

通訳者の場合、ミスをした際に、運が悪いと、壇上から引きずりおろされるようにして、交代させられることも、あります。

通訳の場合は、結果がそのまま、その場で出てしまいます。ミスを恐れない、マインドタフネスが、必要です。

また、通訳を評価する人が、必ずしも、英語がわかる人とは限りません。

たとえば、発表者が、配布資料と逆のことを言っている場合もあります。

大半の人は、ヘッドフォンで聞いているだけですから、誰のミスかは分かりません。それが、通訳のミスだと判断されてしまう場合もあります。

誤解であっても、現場で交代させられると、通訳がヘマしたという印象を持たれてしまいます。フォローアップがない限り、後々のビジネスチャンスにも、響きかねません。

どちらのミスにしても、途中で通訳を交代させられたような場合に、今に見てろ、そのうち、やったるで、というような方が、通訳に向いています。

恥をかいてしまった、自分には適性がないのかもしれないとネガティブに落ち込むタイプは、通訳には向いていません。

翻訳者も、ミスをしたり、物分かりの悪い翻訳会社に当たることも、あるかもしれません。それでも、大勢の前で即座に交代されるようなことは、ありませんから、その点で通訳の場合とは、違います。

技術翻訳の論理的な世界と、英語の俳句の感性の世界の二面性

翻訳の原則は、何も足さず、何も引かずで、原文と訳文が等価であることです。

技術や医薬の翻訳をする際には、論理の部分を大切にしています。

ふだんの翻訳の仕事では、感情をおさえて、原文以上でも、以下でもいけないという文章を書いています。

一方、文学的な、ふわっとした気持ちになりたい自分もいます。

論理的な私と、文学に興味のある私の二面性があります。それを、英語俳句で表現しているのかな、と思います。

国文科の学生だった頃は、俳句には全く興味がありませんでしたし、古語辞典も嫌いでした。

今や、古語辞典も、毎日のように引いています。

俳句では、少ない文字数の作品で鑑賞を読み手に委ねるため、共感を呼ぶことも、情景が大きく広がることもあります。

今では、古語辞典を引いて、昔の言葉を知るのが楽しいのです。

俳句と出会ったきっかけは、フェイスブックフレンドのお医者さまでした。

俳句を始めたきっかけは、フェイスブックでした。

フェイスブックで共通の友人のお医者さまのお友達に、俳句の先生がいらしたのです。フェイスブック上で、その先生の俳句を拝読する機会が続きました。

高尚な句もあり、すべては理解できないながらも、心打たれるものを感じました。

その俳句の先生を、フェイスブックでフォローしたところから始まり、フェイスブックの俳句大学というグループに参加して、投句を開始しました。

フェイスブックの俳句大学グループは超結社です。全国から、様々な俳句の結社の方が、結社の枠を超えて集まっています。伝統的な俳句、現代的な俳句、様々なカラーの俳句を詠む方がいます。

武者修行のような感じで来られる方もいらっしゃいますし、すでに、先生レベルで活躍されている方も多いです。

現在は休学中ですが、先生と素晴らしい先輩方のご指導や選句を受け、初めての東京句会デビューも果たしました。

俳句と医学が結びついた俳句療法(俳句セラピー)

医学の分野でも、俳句療法(俳句セラピー)という考え方が、あります。

聖路加病院の名誉院長であった日野原重明さんも、98歳で俳句を始められて、俳句の本も何冊も出されています。

俳句は、初心者でも、高齢、終末期になってからでも、楽しむことができます。

俳句については、言語学的な興味がありますし、自分が医学翻訳に携わっていますから、医学的な面でも興味があります。

ゆくゆくは、自分でも、俳句セラピーを学び、研究したいという気持ちもあります。医学のサークルの中で、俳句を活かせたらいいなとも、ぼんやりですが考えています。

英語の俳句のルールは統一されていません。

一般的に、英語で俳句を作る際のルールは、まだ確立されていません。

俳句コンテストの英語部門を見ても、主催元により、基準が微妙に違います。

俳句の対訳本は、散文的な訳し方になっています。

外国人の俳人の方が、ルールや方針を、持っていらっしゃる場合も、結構あります。

俳句の心情を、英語の中に表すためには、最終的にどのような形がベストなのか、まだまだ検討の余地があります。

英語の俳句も、省略を多用することが多いです。たとえば冠詞やbe動詞は、省略されることが多いです。一方、あまりに省略しすぎて、意味が伝わりきらない場合もあります。

最終的には、日本人だけでなく、英語ネイティブの詩人、俳人も含めてディスカッションして、俳句として許容できる形式についてのルールを定めることが必要かなと思います。

どこまで省略できるのかは、日本人だけでは判断できませんし、詩歌の中で、どのように英語の特性を出すのかについても、ネイティブの俳人の方の意見もあると思います。

これは、壮大な研究テーマになると思います。

翻訳の仕事で忙しく、なかなか時間も取れませんが、日本や海外で出ている俳句の本も買って、少しずつ、読んでみています。

異業種が集う西日本医学勉強会を主宰

今、地元で、「西日本医学勉強会」という医学の英語の勉強会を主宰しています。

翻訳者以外にもお医者さん、看護師さん、薬剤師さん、医学生や研究者の方も参加されていて、異業種の集まりになっています。

英語だけではなく、医学など専門についても、学んでいます。

西日本医学勉強会は、セミナーに登壇した際に、一緒に勉強をしたいと声をかけてもらったことが、きっかけで始まりました。

これまで、要所要所で、不思議なご縁で小さなイベントが積みかさなりながら、今に至った気がします。

異業種の会ならではの学び、面白さもあります。

アジア競技会の組織委員会も、異業種の集まりでした。

専門職員は、直接雇用でしたが、それ以外にも、様々な組織から来た人が協力して進めていました。市、県、国、警察、電力会社、ホテル、新聞社、テレビ局などから職員が派遣されていました。

賑やかな職場でした。色々なことがあり、異業種の集まりであることのデメリットもありましたが、メリットや、学ぶこと、面白さも、ありました。

医学、薬学の翻訳は続けると思いますが、流れに身を任せるみたいな所もあります。

医学、薬学の翻訳は、もちろん、ずっと、続けていきたいと思っています。

ただ、バランスを考えると、これまでも、そうであったように、これからも、変遷はあるかもしれません。

新しく、医療通訳の勉強も始める予定です。

誰でも、人生の選択に迫られる岐路に立つことがあるかと思います。自分のため、家族のため、他人のため、いかなる時の決断も後ろを振り向かず前を向いていきたいです。

母を病院から解放して自宅生活に戻してあげたときも、多くのプライベートな生活を捨てましたが後悔はありません。医薬翻訳は大切なパートナーですが、人生の全てではありません(笑)。

畝川さんのブログには、医薬の英語の勉強法や辞書についても書かれていますよ。

akoron さん主宰の「西日本医学英語勉強会」のページはこちらです。



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