● 英語講師からIT翻訳者に転身した猫先生にインタビュー
こんにちは。田村恵理子です。
英語の勉強法や、お仕事について、様々な職業や経歴の方に、インタビューさせて頂いています。
第33回は、IT分野を中心に翻訳のお仕事をされている猫先生、こと青山万里子さんに、お話を伺いました。
青山さんは、翻訳のお仕事の前は、英語講師をされていました。
中学校、塾、予備校、専門学校、企業研修、TOEIC対策など、さまざまな場で英語を教えられてきました。
その後、翻訳者へと転身され、もはや翻訳歴は10年以上になります。翻訳の通信講座の講師を務められたことも、あります。
翻訳者としても、フリーランスと、インハウス(社内翻訳者)との両方のご経験をされています。
翻訳分野も、IT、工業、医薬、医療機器と、複数の分野でお仕事されてきました。現在は、在宅のインハウス翻訳者として、IT分野を中心に翻訳されています。
様々な、ご経験をされてきた青山さんに、お話をうかがいました。
英語の勉強は、中学校で初めて始めました。
英語の勉強は、中学校からのスタートでした。中学に入る前は、英語は、できたらかっこいいな、程度に思っていました。
学校の授業で英語が始まった途端、すぐに、英語が好きになりました。
最初に教わった英語の先生は厳しくて、むしろ苦手でしたが、英語そのものは、面白いと思いました。
話すのも、読むのも、書くのも好きでした。文法も大好きでした。
中学校で、ラジオの基礎英語をすすめられて、聴きはじめました。ラジオ講座も、毎日楽しく聴いていました。
今思えば、中学・高校の6年間、学校英語を真面目に勉強し、ラジオ講座を毎日聴き続けたことで、英語の基礎的な力がしっかりと身についたように思います。
ちなみに、留学や海外生活の経験はなく、純国産の英語学習者です。
翻訳者は文系?理系?
子供の頃、読書や作文は、あまり好きでは、ありませんでした。
英語が好きでしたから、結局は文系に進みましたが、理科や算数も好きでした。
論理的に考えることが、好きだったのかもしれません。たとえば、事実を覚えるだけの社会科とかは、あまり好きになれませんでした。
英文法も、論理的な所があるためか、楽しく学ぶことができました。品詞の種類や文の構造などを考えながら英文を読解し、音読するのがとても好きでした。
大学は、英語英米文学コースに進みました。
大学でも、とにかく英語を学びたいと思いました。英語以外に考えられないくらい英語が好きでした。
大学では、英語英米文学コースで学びました。英米文学を学ぶコースですが、どちらかというと、文学よりも言語学的な科目の方が好きでした。
授業で出てくるような英米文学は、何冊か読みました。個人的には、ミステリーや、サスペンスが、好きでした。
卒論も、アメリカの小説家のエドガー・アラン・ポーをテーマにしました。
ポーは、小説を読むだけならよいのですが、論文にまとめるのは、難しくて困りました。とにかく、提出しないといけませんから、なんとか書き上げました。
新卒で中学校の英語教師になったものの・・・
大学卒業後は、当時の、地方の大学卒の女性がたどる、典型的なコースをたどりました。中学校の英語教師になったのです。
当時は、女性が大学に行く、イコール、先生になるという感じでした。
そして、中学校で2年間、英語を教えました。
英語を教えたいと思い、英語の先生になったのです。ところが、実際には、英語どころでは、ありませんでした。
勉強したくない生徒も多く、授業中、おとなしく座っていないのです。教師の言うことも聞きませんし、2年で疲れはててしまい、退職しました。
白衣を着て大学の事務補佐員をしました。
中学校の教師をやめた後は、もう、教える仕事はしたくないと思い、事務職を選びました。出身の大学の事務補佐員として、働くことにしたのです。
勤務先は工学部だったので、教官も学生もみんな白衣を着ており、おお!かっこいい!と思いました。仕事の内容は事務職でしたが、勤務中は、私も白衣姿でした。
文系の学部では白衣を着ることはないので、白衣が着られたのはうれしい経験でした。
仕事の内容としては、お茶を入れて出したり、プリントを準備したり、教授の手伝いをしました。それなりに英語ができたので、教授に論文の英訳の手伝いを頼まれることも、ありました。
大学の事務補佐員としては、2年間働きました。
予備校の講師として、再び英語を教える仕事に
やがて、友人経由で、予備校で英語を教えないかという話が回ってきました。
友人が勤めていた事務機器の会社に、予備校の先生が出入りしていたのです。ある時、その予備校の先生が、先生の空きが出たので、誰か知りませんか?と声をかけ、友人を通じて、私に話がきました。
話を聞いて、予備校なら、また教えてもいいかなと思いました。中学校と違い、予備校の生徒は勉強熱心だろうと考えたのです。
それで、英語を教える仕事に戻ることにしました。塾の延長のような小規模な予備校の講師として、英語を教え始めました。
これが、その後、長く続くことになった英語講師キャリアの始まりでした。
予備校講師時代、英検1級の1次試験も2次試験も一発合格でした。
予備校講師をしていた時代に、かなり、英語の勉強をしました。
大学入試の問題は、真面目に取り組むと、すごく力がつくのです。毎日の授業の予習が、そのまま英語の勉強になりました。
予備校講師時代に、自分でも英検を受けました。英検1級は、1次試験も2次試験も、一発合格でした。
予備校講師になる少し前から、英会話サークルにも、入っていました。普段は日本人同士で、ディスカッションのようなことをしました。たまに、外国人が来ることも、ありました。
CNNニュースのディクテーションをする勉強会にも参加していました。この勉強会のおかげで、リスニング力が強化され、語彙が増えたように思います。
専門学校で、社会人の英会話講座の講師に
英検1級に合格したことで、富山市立外国語専門学校の校長先生から、電話がかかってきました。
社会人対象の、英会話講座の講師をしないかという打診でした。
そこで、また、新しい道が開けた感じでした。それがきっかけで、英会話講師の仕事も、はじめました。
英会話のクラスでは、英語だけではなく、クラスを盛り上げるためにも、エネルギーを使いました。
両方経験してみて、どちらかといえば、英会話よりも、受験英語を教える方が、自分には合っているかなと感じました。
企業研修の英会話講師として、様々な企業で教えました。
それまでは、富山にいたのですが、縁があり、兵庫県に引っ越すことになりました。そこで、新たな仕事を探しました。
ジャパンタイムズに、企業研修の英会話講師の募集が掲載されているのを見つけました。応募して合格し、採用となりました。
企業研修の講師は、1年間、務めました。色々な企業に派遣されて、英会話研修の講師をしました。
ところが、企業研修は、参加する生徒さんの、モチベーションが、いまひとつでした。
自ら英会話学校に通う生徒さんは、モチベーションが高めです。一方、企業研修の場合は、仕方なく研修に参加しているようなところも、ありました。
もちろん、大人ですから、中学生のように嫌そうな態度をとることは、ありません。しかし、講師から見ていても、元気がなく、かわいそうだなと思いました。
結局、教える方も、しんどくなり、企業研修の講師は1年でやめました。
TOEIC対策の英語講師、そして翻訳との出会い
企業研修講師をやめた後は、予備校や、高校生対象の学習塾などで、英語を教えました。しばらく、英語講師として数カ所で勤務していましたが、だんだんと、仕事が減ってきました。
どうしようと思っていたところ、大阪の有名な翻訳学校で、TOEIC講師を募集しているのを見つけました。
TOEICの講師になろうと思って、大阪まで面接に行きました。
実は、予備校講師時代から、翻訳も、いつか、やってみたいという興味はありました。
面接をして、TOEIC講師として採用されることになり、その後、担当者と話すうちに、翻訳も習ってみたいな、と思いました。
結局、TOEICの講師をしつつ、翻訳コースにも通うことにしました。
翻訳学校のIT翻訳コースで、翻訳を学びました。
翻訳分野を決めるときは、需要や収入の面から、出版翻訳ではなく、実務翻訳だと思いました。
翻訳学校には、産業一般、特許、医薬、など、いくつかの実務翻訳のコースがありました。体験レッスンを受けてみた中で、ITが、内容的に一番興味を持てると思いました。担当の先生も、面白そうな方でした。
それで、IT翻訳コースを選択しました。マニュアルのようなモノを訳せば、需要はあるかなと考えました。
TOEICの講師をしつつ、土曜日には、IT翻訳コースに通いました。
クラスメートは、20、30代の会社員や、高校の英語の先生で40代の方、無職の方など、様々でした。
実際に、翻訳の勉強をしてみると、とても面白かったのです。一日中ずっと翻訳していたいと思いました。
1年間、IT翻訳コースで勉強したのち、翻訳会社のトライアル試験を受けて、何社かに合格しました。
それから翻訳の仕事を始め、今に至ります。TOEIC講師は、1年でやめました。
英語講師と翻訳を比べると、翻訳の方が合っていると思いました。教える時は、自分がクラスのテンションを上げる必要があるので、しんどい面があります。
当時のクラスメートでも何人か、今、翻訳者になっています。
翻訳者とパソコン通信ニフティサーブ
英語講師時代、はじめは、プリントを作成するために、文豪ミニというワープロを使っていました。
当時、翻訳者は、パソコン通信のニフティサーブで、原稿をやりとりすると聞いていました。
英語講師をしながらも、将来、翻訳をやってみたいなとも思っていましたから、パソコン通信にも、興味がありました。
それで、使っていたワープロが壊れた時に、パソコンを買ってみることにしました。1997年のことですから、もう20年も経つんですね。
パソコンは初めてでしたから、自分で色々と試して、人にも聞いて、見よう見まねで、使ってみました。
ニフティサーブのフォーラムでは、自宅にいながら、いろんな人とオンラインで交流することができ、パソコンを使うのは、楽しいなあと思いました。
使いながら、パソコンについても、少しずつ覚えていきました。
IT翻訳と翻訳支援ツールTradosとパソコン自作
2004年にフリーランスで翻訳の仕事をスタートし、日々、パソコンを使い、IT分野の翻訳をするうちに、今ではITにも詳しくなりました。
今のパソコンは自作です。初めて自作したのは2008年です。もう3回、自分でパソコンを組み立てました。
翻訳支援ツールのTrados(トラドス)は、非常に重いのです。メモリがもっと欲しい、もっと性能の良いCPUが欲しいと思いました。それが自作してみようかなと思ったきっかけです。
IT分野の翻訳をしていますと、パソコンを自作してみたくなるということも、あります。
本で調べて、ボードやパーツを買って、組み立ててみました。失敗して、パーツを交換する羽目になったことも、ありました。
自作の場合、費用的に若干は安くなりますが、それよりも、好奇心の方が大きいです。自分で好きなパーツを選んで組み立てるのが、とても楽しいのです。
IT分野の翻訳にTradosは、ほぼ必須?
IT翻訳の場合、翻訳支援ツールのTradosが、広く使われています。
Tradosは、原文と訳文のペアを翻訳メモリに登録し、同じ原文や類似した原文が登場した時に、登録済みの訳文を再利用することで、翻訳作業の効率化を図るツールです。主に、マニュアルやカタログなど、加筆・修正が繰り返される文書の翻訳に使われます。
マニュアルなどは、非常に分量が多く、繰り返しの文章や変更しない文章も多いため、Tradosの使用はほぼ必須です。
IT分野で翻訳の仕事をしようと思ったら、Tradosがなければ仕事になりません。IT翻訳者にとっては、大事な商売道具です。
ちょっと高いソフトですが、Tradosを使って何度か仕事をすれば、すぐに元は取れます。
Tradosの使い方は、実際に仕事をしながら覚えました。一時期、半年ほど、大阪の翻訳会社でオンサイトで仕事をしていたことがあります。その時に、Tradosの使い方を、教えてもらったこともあります。
フリーランス翻訳者、インハウス翻訳者の休暇の取り方
2014年から、毎年、海外旅行に行くことにしています。もう年なので、行ってみたいところに、行こうと思いまして。(笑)
今年はオーストラリア、去年はスイス、一昨年はアイスランド、その前はメキシコに行きました。鉄道の旅も、好きです。
九州の肥薩線の旅もよかったですが、スイスの氷河特急やオーストラリアのキュランダ鉄道もよかったです。
フリーランスで翻訳の仕事をしていた時も、計画を立てて、2週間くらいは休むようにしていました。
今はインハウス翻訳者ですが、やはり、2週間くらい休暇をとって、旅行に行っています。
前もって会社にスケジュールをお知らせすれば、長期の休暇をとることも可能です。
常勤で在宅のインハウス翻訳者という働き方
昨年から、翻訳会社の常勤のインハウス、すなわち社内翻訳者として働いています。平日の何時から何時までと、時間が決まっています。
インハウス翻訳者ですが、在宅で仕事をしています。毎朝、今から業務開始しますとメールをして、仕事をスタートします。
関西在住ですが、勤務先は、東京の翻訳会社です。
フリーランスで翻訳の仕事をしていた時に、仕事が減ってきた時期がありました。そのタイミングで、当時、登録していた翻訳会社から、常勤の翻訳者を募集しているという知らせを受けました。それを機に、インハウスの翻訳者になりました。
時間は決まっていますが、社員というより、専属フリーランスのような形です。確定申告もしています。
翻訳の仕事は、フリーランスの時と同じように、案件ごとに打診されます。納期さえ無理がなければ、仕事を断ることは、ありません。
依頼される翻訳分野は大体、決まっていますから、内容的に無理ということは、ほぼ、ありません。
通常は、メールでやりとりをしています。採用時の面接も、オンラインでした。今回、東京で懇親会があり、初めて出席したので、初めてお顔を拝見した方も多かったです。
インハウス翻訳者と、フリーランス翻訳者、それぞれのメリットと収入
インハウス翻訳者の方が、収入は安定します。
時給計算ですが、勤務時間が決まっていますから、だいたい月収が一定となります。
フリーランス翻訳者と、インハウス翻訳者とで、どちらが収入が良いのか?は、微妙なところです。
絶え間なく、コンスタントに、仕事がくると仮定すれば、フリーランスの方が、稼げるかもしれません。
ただし、フリーランスの翻訳者は、どうしても、仕事に波があります。忙しい時は、とても忙しく、仕事を断らざるをえません。逆に、仕事がない時期もあります。
インハウスですと、仮に仕事があまりない時も、待機していれば時給が発生します。その点、インハウスの翻訳者はいいかなと思います。
また、常勤になってから、土日にきっちり休めるようになったことも、メリットの1つです。
新人の翻訳者の場合は、現場を見るという意味で、オンサイトでの、インハウス翻訳者を経験されると良いかもしれません。
ソフトウェアの会社の社長さんから頼み込まれて、医薬翻訳を始めました。
今は、IT分野がメインですが、一時期は、医薬翻訳もしていました。
医薬翻訳を始めたきっかけも、人のご縁でした。翻訳の仕事を始めて2年ほど経った頃、友達の友達から、手伝って欲しいと頼まれたのです。
ソフトウェアの会社の社長さんでしたが、個人的に、製薬会社から、プレスリリースの翻訳の仕事を受けている方でした。その翻訳の仕事が、忙しくなり、話が回ってきたのです。
医薬の翻訳の勉強はしたことがありませんでしたから、2回ほど、断わりました。
ところが、本当に困っているらしく、何度も、頼まれました。そこで、勉強しますと言って、むりやり医薬翻訳デビューさせられました。(笑)
すぐにインターネットで南山堂の医学英和大辞典を購入し、結局、半年ほど、その会社の翻訳の仕事をしました。英日翻訳も、日英翻訳もしました。
最初は、分からないことばかりで、調べものが大変でした。
そんなことがあったので、医薬翻訳の勉強をしておくと、将来また役立つこともあるだろうと思い、かつてIT翻訳を学んだ翻訳学校の、メディカル翻訳コースに1年間通うことにしました。
メディカル分野の翻訳の難しさと、好きな翻訳分野
メディカル翻訳コースでは、直接的に医療の知識を学ぶわけではなく、翻訳演習を通して、医療分野の文書や用語に触れました。
すでにIT翻訳者としての経験があったので、翻訳スキルについてはそれなりにあるとしても、医療についての知識はほとんどありません。翻訳をする過程で、分からない医療用語が出てきたら、その都度調べて翻訳していきました。
メディカル翻訳コース修了直後に受けた翻訳会社のトライアルで、カテーテルという言葉が出てきました。その時点では、カテーテルがどういうものなのか知りませんでした。
トライアル合格後に受注した案件に出てきたステントも、知りませんでした。血管の中に医療機器を挿入する血管内手術についても、ほとんど知識がありませんでした。
医薬翻訳は、医療について勉強する意欲や、興味がないと難しいなと思いました。
同じ医療機器の翻訳案件でも、ステントのように体内に入れるような器具ではなく、コンピューターで制御するような機器などの場合、それほど医療の知識が必要でないこともあります。
個人的には、医薬よりも、機械やITの方が面白いと思えるので、医療関係なら、やはり医療機器がいいですね。
一方で、医薬品や治験などの医薬らしい案件は得意だけど、機械やITが苦手な医薬翻訳者は案外多いようです。こういう方は医療機器の案件を受けたがらないので、おかげさまで、私に出番が回ってきます。
翻訳分野としては、やっぱりITが一番好きかなと思います。IT翻訳といっても、最近は、純粋なIT案件は少なくなっています。逆に、医療機器では、ソフトウェアを使う場合もあり、ITが関係してくることも多いです。
マーケティング、広告、マニュアルなど、色々な種類があり、ITといっても様々です。
翻訳者に向いているタイプは?
英語が好きで、調べることが苦にならない人は、翻訳者に向いています。知りたいという好奇心のある人が、いい翻訳者になれると思います。
翻訳分野は、自分が興味の持てる分野を選択する方が良いです。調べものや勉強が常に必要な仕事なので、興味をずっと持続できる分野だと、あまりストレスを感じることなく仕事ができると思います。
猫先生のニックネームの由来
猫先生というのは、英語講師をしていた時に、友達がつけたニックネームです。ニャゴニャゴ言って、猫っぽいので、猫先生がニックネームになりました。
実際に、猫を飼ったことは、ありません。子供の頃は、家が蕎麦屋だったため、猫は飼えませんでした。それでも、親戚の家で、猫を飼っていたりして、猫は好きでした。特に、茶トラが好きです。
ブログの写真の猫は、近所のお気に入りの猫です。トラと呼んでいます。よそでは、違う名前かもしれません。(笑)
インタビュー後記
青山さんは、決断とレスポンスが、とても速いです。インタビューの日時や場所も、あっという間に決まりました。
40代で翻訳スクールに通い、翻訳者へと転身されたわけですが、まさに、決断力と好奇心のなせる技だなと感じました。
インタビューでは、私自身、予備校講師や翻訳者など共通の経験があることもあり、とても興味深く、お話を伺いました。
そして、撮った写真を見たら、さりげなく猫ちゃんポーズをとられていました。とても気さくで、お茶目な方です。^^
追記 2021年7月
近況アップデートも兼ねてメッセージをいただきました!
「インタビューを受けた2017年は、収入の安定を優先してインハウスで仕事をしていましたが、2019年に還暦を迎えたのを機にもっとのんびりペースで仕事をしようと思い、フリーランスに戻りました。今はコロナの影響もあって仕事の量は少々減りましたが、翻訳の仕事はそれなりの年齢になっても自分のペースで続けられるいい仕事だと思います。人生100年の時代ですし、まだまだ先は長いです。せっかく翻訳という好きな仕事に巡り会えたので、今後も楽しく仕事していこうと思っています。」
青山万里子さんのブログ、HP、著書、訳書へのリンク集
青山万里子さんの旧ブログ「女は翻訳でよみがえる」には翻訳者になりたい方へのヒントが満載です。
青山万里子さんの新ブログ「女は翻訳でよみがえる Part 2」はこちらです。
翻訳の仕事に関する情報などは、旧ブログが参考になるかと思います。新ブログは、withコロナの時代における翻訳者の生活という割とユルい内容とのことです。
翻訳を仕事にしたい人のための電子書籍も出版されています。下の画像をクリックすると、amazonの詳細ページにジャンプします。
青山万里子さんの訳書(共訳)『知のビジュアル大百科 人体』も発売されました。原書は図鑑で有名なDK社の『HUMAN BODY!』です。全文ふりがなつきの子ども向け図鑑ですが、大人も楽しめると思います。
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