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同時通訳者の英語の勉強法インタビュー

● 同時通訳者の英語の勉強法インタビュー

こんにちは。田村恵理子です。

同時通訳といえば英語を使うお仕事の中でも最高峰、プロ中のプロのイメージがあります。

同時通訳者が、どのように英語を勉強してきたのか?どのように通訳のトレーニングをしてきたのか?私自身も、とても興味がありました。

英語の勉強法インタビューその36では、同時・逐次通訳者の山下恵理香さんに、お話を伺いました。

子供の頃の英語の思い出から、高校、大学時代のアメリカ留学、サイマルでの厳しい通訳トレーニング、通訳のお仕事を始めた頃の話など、たっぷり聞かせていただきました。

目次

子供時代にハリウッドのアクション映画を字幕で鑑賞

子供の頃に家族でお出かけして、外でご飯を食べて、街の映画館に洋画を見に行くことがありました。父が洋画、特にハリウッドのアクション系が好きでした。2ヶ月に1回くらいは映画を見に行っていたと思います。

父が洋画のレンタルビデオを借りてきて、家でみんなで見ることもありました。

劇場映画も、レンタルビデオも、吹き替えでなく字幕で見ました。

小学1、2年生の時は、映画の字幕には読めない漢字も多かったです。分かっているのか、分かっていないのか分からない感じで洋画を見ていました。

内容もアクションですから大人の男性向けで、それほど面白いと思ったわけでは、ありません。

ただ、早い段階から英語を聞いて、耳が英語に触れていたのは良かったのかもしれないと、漠然と思います。

小学生時代の英語塾と英検5級

小学生の時、住んでいた地区に英語塾が開校しました。営業のお姉さんが各家庭を生徒募集で回っていました。

家に可愛い営業さんが来て、玄関先で英語ゲームをしました。ゲームが楽しくて、すっかり英語塾に行く気になりました。両親は迷っていたようですが、行かせてくれました。

小学校の4年生から6年生まで、その英語塾に通いました。友達と一緒で楽しかったです。

カードゲームや歌が中心でした。テキストもゲーム形式でした。楽しかったですが、たいした勉強はしていません。ABCの書き方くらいは教わりましたが、文法は習いませんでした。

6年生の時に、英語塾のクラス全員で英検5級を受けました。結果は不合格でした。両親も、まぁ遊んでただけだしねという感じで、特に気にしませんでしたし、それで英語が嫌いにはなることは、ありませんでした。

英語の他の習い事はピアノと柔道

英語の他に、柔道とピアノも習っていました。

柔道は小学校の時から道場に通い、週2回2時間、中3まで続けました。

ピアノも4歳から14歳くらいまで習っていました。ピアノの先生は父の幼馴染の奥さまでした。それもあり、ピアノはゆるく長く続けた感じです。

小、中学校の時は習い事で毎日なんだかんだ忙しかったです。

中学校での英語

中学校に入って本格的に英語の勉強をスタートしました。授業が始まってみると、英語塾での知識は1年生の4月にすぐに終わってしまう程度の内容でした。

それでも、アルファベットの書き方は知っていましたし、ほんの少し進んでいた分、テストでも良い点を取れました。

初めのテストでは50点満点中49点でした。うれしくて、もっと勉強しようと思いました。

中学校の英語は最初はやさしいですから、ほぼ満点くらいの生徒は実は他にもたくさんいました。

お兄ちゃんやお姉ちゃんがいる生徒は上の学年の情報もあります。油断ならないぞと思いました。

中学の英語の先生とは、あまり、ソリが合いませんでした。

英語塾の先生に、週1回家庭教師に来てもらっていました。その先生は好きでした。それもあり、英語の点数はずっと良かったです。

普段は、それほど勉強したわけではありません。テストの3週間くらい前から、それまでの総復習をしてテストに挑む感じでした。

全科目の中で英語が一番得意でした。暗記という意味では社会も得意でした。数学も初めは苦手でしたが、受験の時に勉強して得意になりました。公式を覚えて必ず解けるというのが面白いと思いました。

中学の英語スピーチコンテスト校内選考会で暗唱

中学2年生の頃、英語のスピーチコンテストがありました。校内選考で選ばれた生徒がコンテストに出場できます。どうしても出たいと思いました。

校内選考会で出てきた候補は、英語ができる生徒ばかりでした。

成績が1位の生徒、小さい頃から英会話を習っていて発音がすごく綺麗な生徒、その他にも、すごく英語ができる生徒が候補になっていました。

私は、校内選考会の課題の文章を丸暗記することにしました。

校内選考会では、教科書のレッスン4の内のどれかを読むから練習してくるように言われました。

教科書は見ていいことになっていました。見ていいと言うからには、他の生徒はテキストを見て読むだろうと思いました。

それなら私は暗記しようと思いました。暗記には、すごく自信がありました。

選考会では覚えた文章を暗唱しました。別の学年の先生が私の熱意を買ってくれて、めでたく代表として選ばれました。

スピーチコンテストの本選では、残念ながら市内大会止まりとなりましたが、校内では、山下恵理香イコール英語というイメージになりました。ますます、英語は頑張らなきゃと思いました。

1年生の英語の教科書から丸暗記

スピーチコンテストの後の試験で、あることに気がつきました。暗記していた部分から出題された問題は、すごく印象に残っていてスラスラ解けるのです。

これは受験勉強に使える技だと思いました。それで、英語は教科書を丸ごと暗記することにしました。1年生の1学期の教科書から全部、暗記しました。

全部というと皆さんびっくりされますが、コツコツやって、できないことではないと思うのです。

もともと覚えるのは得意でした。繰り返し音読して覚えました。

教科書を丸ごと暗記したおかげで、中学の基本文法が体に染みたと思います。

留学を決めた、家庭訪問での担任の先生の一言

留学するきっかけを作ってくれたのは、中学3年の担任の先生です。英語ではなく、技術と数学の先生でした。

その先生のいとこがアメリカに留学していたのです。留学は楽しいし、すごく勉強になるみたいだよと話してくれました。

家庭訪問の時に、恵理香も英語が好きだから留学してみれば?と軽く勧めてくれました。

父は調理師で不定休でしたが、たまたま家庭訪問の日は仕事が休みで、その場にいました。

両親が揃っている時に先生から勧められたものですから、両親とも、恵理香が行きたいなら行かせてあげようという雰囲気になりました。

高校生になったら、私は留学するのだと思いました。

かたくなに塾に行かずに高校受験

高校受験では、市内で1番の進学校に行くと決めました。それでも、かたくなに塾には行きませんでした。

今さら塾に通って自分の勉強スタイルを崩すメリットがないと思いました。

両親には、えらく心配されました。

心配をかけていることもあり、勉強しまくりました。そして希望校に合格しました。

ところが、高校受験であまりに勉強しすぎたからか、勉強に関しては、そこで燃え尽きてしまいました。

高校の成績は鳴かず飛ばず

高校に入ってからは、全然勉強しませんでした。

高校の1学期までは、中学校の続きのようなものでしたから、テストの点数も、そこそこ取れました。

テストの結果は、250人中50位くらいまで貼り出されます。最初の1回は50位に入り、名前が貼り出されました。

ところが、その後は鳴かず飛ばずでした。本当に勉強しませんでしたから落ちこぼれてしまって、成績も200番台をウロウロする状態でした。

英語の先生に何故と言われながらも高校でアメリカ留学

それでも、私は留学するんだと思っていました。もともと少し目立ちたがり屋の部分があります。それも留学したいと思った理由の一つかもしれません。

留学前は、高校の英語の成績はむしろ悪い方でした。英語の先生からは、なんで留学?と言われました。

学校の勉強はできていないけれど、中学までの英語が分かっていれば、会話はできると思いました。

幸い、留学資格には学校の成績は関係ありませんでした。留学協会の試験を受けて受かったら、行かせてもらえるシステムでした。

高2の夏から留学に行くために、高1から手続きや準備を始めました。準備と言っても、私は、担任の先生に書類を書いてもらうくらいでした。両親は、留学資金のこともありますし、大変だったと思います。

アメリカはカンザスでの1ヶ月の語学研修

高校2年生の夏から1年間、高校を休学してアメリカに留学しました。

まずは1ヶ月間、カンザスでランゲージキャンプに参加しました。60人位が2クラスに分かれて語学研修をしました。

カンザスは、カナダからの寒気と、メキシコ湾からの暖気がぶつかる場所で、トルネードが有名です。お土産のスノードームも、トルネードでした。

滞在中に、実際にトルネードにあうことは、ありませんでした。警報は聞いたことがあります。サンダーストームは、しょっちゅうありました。

カンザスは、アナウンサーの輩出率が高いことでも、有名です。英語に癖やなまりが少ないのです。

カンザスでは20代後半の若いご夫婦の家にホームステイしました。年が近いこともあり、とても仲良くなりました。そのファミリーが大好きで、後に大学留学の時にも、ホームステイさせてもらったほどです。

テキサスの南部なまりの英語にお手上げ

カンザスでのランゲージキャンプ終了後は、テキサスのヒューストンに移り10ヶ月間、高校に通いました。

実は、カンザスで1ヶ月過ごした時点で、結構、英語ができるようになった気がしていました。

ところが、テキサスに来たら全然ダメでした。テキサスの英語は、ものすごく癖があります。

例えば、アイという音がアーになります。ナイスが、ナースになるのです。

テキサスのホストマザーは特になまりが強く、はじめの1週間は全く、何と言われているのか分かりませんでした。

テキサスで、英語が分かるようになってきたと思えたのは、ようやく2、3か月後のことです。

テキサスのホストファミリー

テキサスのホストファミリーは、50代の夫婦と6歳上の養子のお兄ちゃんがいる家族でした。事業をしていて裕福なお家でした。

ホストファーザー、ホストマザーのことはパパ、ママと呼びました。すごく可愛がってもらいました。

何か、欲しそうな様子を見せたら、すぐに買ってくれるほどでした。一緒に買い物に行くと、何かを見ていただけで、それをカゴに入れたりするのです。お店では商品をじっと見ないように気をつけないといけない位でした。

ママが、女の子と暮らしてみたかったと言っていたことがあります。お人形さんのような感覚で可愛がってくれたのかもしれません。

もちろん、10代の思春期に生活習慣の全く違う家で暮らすのですから、ストレスもありました。最初に、この家に入るからには、この家のルールに従おうと覚悟を決めていました。

たとえば、ママは、かなり色々と干渉するタイプでした。

アメリカでは、ティーンの子供の部屋には、入らない人が多いですが、ママはそうではありませんでした。

学校から帰ってきて部屋に入ると、花瓶の向きや枕の置き方の順番など、部屋の様子が変わっていたりしました。

そのような、ちょっとしたことを、ストレスに感じることもありました。

それでも、住まわせてもらっているし、養ってもらっているし、すごく可愛がってもらっているのは、よく分かっていました。

部屋の配置は、自分でもホストマザーの好みを覚えて、それに従うようにしました。

その他にも過保護気味だったり、多少イラっとすることがあっても、自分の中に押しとどめて、自分の方が気をつけるようにしました。

週末に日本の家族に電話するときに愚痴をこぼして発散するくらいは、たまに、ありました。

テキサスのヒューストンの高校に留学

学校では、先生たちの英語の癖が強くて分かりにくいということは、ありませんでした。それでも、語彙力も足りず、聞き取り力も未熟でしたから、初めのうちは、いまいち何を言っているか分からない状態でした。

8月後半に学校に通いだして、すぐの9月11日に911のテロがありました。

その朝のクラスはダンスの授業でした。授業を中止して、みんなでテレビを見ました。ニュースの英語が聞き取れませんでしたが、先生が説明してくれました。

怖いから、もう帰りたいと思いました。学校が始まったばかりで、ホームシックになっている時期でもありました。これを理由に日本に帰れないかなと思ったりもしました。

その後は、だんだん慣れてくると共に、学校や毎日の生活に精一杯で寂しさを感じる暇もなくなりました。その年いっぱいは、ホームシックも忘れて、日々いそがしく過ごしました。

後に役に立った留学先の高校の選択授業

高校の選択科目で、後に役に立ったのは、タイピングの授業です。何気なく選んだのですが、とても良かったです。

基礎クラスでしたから、キーボードのホームキーを覚えるところから始まり、前期、後期とタイピングのスキルを磨くことができました。

おかげで、高校生のうちにブラインドタッチができるようになりました。ワードの使い方も覚えられました。

留学先の高校で英語は落第点Fの連続

だいぶ英語にも慣れてきたとはいえ、英語やアメリカ史の授業は、最後まで大変でした。

留学生が、いきなり高校2年生のクラスに入るのです。

両親の都合で現地に住んでいる生徒は、ESLという英語を母語としない人向けの英語コースを受けることができます。ところが、自分の意思でアメリカにきた留学生は、ESLは受けられません。

その高校には、スウェーデン、ドイツ、イタリアからの留学生もいました。

同じ留学生でも、ヨーロッパからの留学生は、英語がよくできました。それでも、英語が苦手だから留学したと言っていました。それを聞いて、日本の場合は英語ができる人が留学するのにと思い、ショックでした。

高校の英語の授業では、英文を大量に読みました。マークトウェインのハックルベリーの物語もありました。

語彙も上級英語のボキャブラリになりますから、難しかったです。宿題で読む量も多かったです。1ページ読むのに1時間かかるのに、宿題が30ページもあったりして、大変でした。

テストでも、英語で英語について問われて、英語で答えるのです。留学中の英語の成績はFの落第点の連続でした。

留学中の英語の勉強は本当に大変

授業中に、泣いてしまったこともあります。

英語の授業が終わった時、もう口を開いたら泣いてしまいそうな状態で我慢していたのですが、次の授業で友達から、どうした?と声をかけられて泣いてしまったのです。

その授業の先生が、カウンセラーの先生の所に、行かせてくれました。授業の科目登録をしているカウンセラーの先生と、色々話をしました。そのカウンセラーの先生が、英語の先生にコンタクトを取ってくれました。

放課後のチュータリングや、難しい作品のダイジェスト版を活用しながら授業を受けることを勧めてくれました。

それからも英語の勉強は結構、しんどかったです。

他の留学生の中では、比較的、英語が苦手なイタリア人の子と、お互いに頑張ろうね、とはげましあいました。

英語の勉強の面では、ホストファミリーが一番、助けてくれました。

ママも家業のお仕事をしていました。授業後は、ママにピックアップしてもらって、仕事が終わるまで、ママのオフィスで勉強することも多かったです。

ママの姪っ子が、同じオフィスで働いていました。7、8歳年上で、高校卒業後しばらく働いてから大学に行く予定で仕事をしてたのです。時間がある時には、勉強を見てくれました。彼女は小学校の先生を目指していたこともあり、教えるのを楽しみにしてくれていました。

周りの人が、本当に暖かかったです。

高校の英語の成績は、最後の方の4月になって、ようやくFからDになり、最後の最後にCになりました。

留学中はハロウィーン、クリスマス等アメリカの行事を満喫

ホストファミリーのおかげで、アメリカの行事は満喫させてもらいました。

ハロウィーンには、家中に、小さい子がいる家でないとしないようなデコレーションをしたり、お化けのランプを庭に立てたりしました。ハロウィーン当日は、ファミリーみんなでコスチュームを着ました。パパがフランケンシュタインで、ママが魔女でした。

サンクスギビングには、大きいターキーを焼いてくれました。

クリスマスの朝は、ママがウキウキした声で、エリカおいでと呼んで、行ってみたら大きいラックにいっぱいのプレゼントがありました。びっくりしました。

自転車や、チョコレートや、指輪など、欲しかったものが色々入っていました。

指輪は、実は、ひそかに欲しいと思っていたものでした。石を変えられるタイプの指輪で、当時はやっていました。やっぱりお店で見ていたのを、知っていたんだと思いました。

教会には、ほとんど行きませんでした。一度、教会には行かないの?と聞いたことがあります。聞いただけだったのですが、行きたがっていると思ったようで、その後1度連れて行ってくれました。

お食事前のお祈りはしましたが、教会に行かなくても神様はここにいるという考えのファミリーでした。

誕生日に天井から張り子を吊るして、棒でつついてキャンディを取って食べる遊びがあります。それも用意してくれました。ケーキも3つも用意してくれました。

パパもママも、留学生がいるから行事はなんでも豪華にやってやろうぜ、という感じでした。とても楽しかったです。

習慣の違いを身をもって感じることができたのも収穫でした。たとえば、日本では、ハグしたり、ほっぺにキスしたりしないですよね。特に欧米の人たちは、よくハグをします。そのような習慣に慣れることができたのは、留学ならではの体験だと思います。

高校留学中のホームシック

楽しい中にも、やはり、ホームシックはありました。

アメリカのお正月は、元旦のみ休日です。ごく普通の休日で、パパは会社の雑務を片付けにオフィスに行っていましたし、ママはお部屋のお掃除をしていました。

日本の実家に電話したら、電話の向こうは、お正月ムードでした。一気に寂しくなり、帰りたくなりました。そこから半年はホームシックでした。

それでも、周りの人が本当に暖かかったです。

ホームシックになったり、ママの過干渉にイライラすることもあっても、それでも留学生活は、ずっと楽しかったです。

アメリカ留学から帰国後の高校の英語の成績

約1年間アメリカで高校留学生活を送り、帰国しました。

日本の高校には2年生の2学期に戻りました。周りは、そろそろ受験を意識する時期です。

帰国後すぐは、それほど英語の成績は伸びておらず、テストの順位も真ん中くらいでした。

こんなものか、大して伸びないなと思いました。先に留学した人から、学校の英語の成績はそれほど伸びないとう話も聞いていました。

しかし、やはり1年間の生活の中で英語を使っていましたから、感覚で覚えていたことが沢山ありました。

高校では、英語の構文集を毎回10ページ覚えてテストしたりしましたが、英文が入って来やすい感じがしました。

高校の英語の授業を受けることで、後付けで理論を学び直して定着することができたと思います。

帰国してから半年くらいかけて英語の順位がだんだん上がって行きました。

帰国直後は130番、140番台だったのが100番くらいになり、50番くらいになりました。3年生になる頃には英語だけは10番台になっていました。

大学は、再びアメリカ、カンザスに留学

高校は進学校でしたから、進学以外の道はありませんでした。英語受験で日本の大学を狙うか、または、アメリカに留学するかの選択です。

高校でのアメリカ留学から帰国した時、大学はもうアメリカにしようと決めていました。

やはり英語環境に身を置いてみたいと思いました。英語が楽しくて仕方なかったのです。現地に住むことで、磨かれることもあると思いました。

両親も、自然な流れでオッケーしてくれました。

高校留学時、最初にランゲージキャンプで1ヶ月滞在したカンザスに行くことにしました。

カンザスの地平線が広がっている風景が好きでした。もともと、ごちゃごちゃしている感じは好きでなく、田舎が好きでした。カンザスの景色に惚れたのです。

カンザスのホストファミリーと仲がよかったことも、カンザスを選んだ理由の一つでした。

TOEFLテストを受けて、カンザスのウォッシュバーン大学に行くことにしました。

ホストファミリーの家を出て、寮生活、アパートも経験

大学留学の初めの半年くらいは、以前に滞在したカンザスのホストファミリーに、お世話になりました。

そのファミリーが好きで近くの大学を選んだくらい、そのファミリーとも仲が良かったのです。

ただ、結局は半年で、ホストファミリーの家を出ることにしました。

カンザスのファミリーは敬虔なクリスチャンで、お食事前のお祈りはもちろん、日曜日には必ず教会に行く家でした。

毎週日曜日に教会に通うことに反発してケンカになってしまったことがありました。もう大学生でしたから、その他にも窮屈に感じることがありました。結局、ホストファミリーの家は出ることにしました。

その後半年ほど寮に住んだ後、学校のそばのアパートに移りました。学校のすぐ前でしたが、学校の敷地が広いため、教室まで20分かかりました。

ホストファミリー、寮、アパートと移り住んで、迷惑もかけましたし、お金も余分にかかりました。ただ、結果的に、全部を経験できたことは良かったです。

アメリカの大学の専攻と教養科目

アメリカの大学では、わりと簡単に専攻を変えることができます。

私の場合も、マスメディア、文学、経済、広告学と専攻を変えました。専攻とは言っても、大学の最初の2年間は専攻とは関係のない教養科目の履修が主です。

2年生までに履修した専門科目は、マスメディアと文学に共通する科目くらいで、あとは教養科目でした。

大学2年の夏の一時帰国でTOEICテストを受験

本当は、そのままアメリカで大学を卒業する予定でした。

大学2年の夏に転機が訪れました。大学の夏休みは5月半ばから8月半ばまであります。夏休みは日本の実家で過ごしました。2年生の夏休みは、漠然と卒業後は何しようかな?と考えている時期でした。

将来は通訳かなと思い、通訳者養成で有名なサイマルのパンフレットも取り寄せてみました。実家は静岡ですから、サイマルは遠いし学費も高いと思いました。

日本にいる間にTOEICテストを受けました。TOEICテストの結果を受け取ったのは、夏休みも終わる頃でアメリカに帰る直前でした。830点でした。

特に、TOEICテストの勉強はせずに受けたのですが、860点に届かなかったのは、予想外でした。

留学していたアメリカの大学を退学し、日本に帰ることを決意

TOEICテストの結果を見て、アメリカにいるだけで伸びる英語力は限界があると感じました。生活圏内での英語には不自由がなくても、授業の内容から、それ以上には広がっていかないと思いました。

もやもやした気持ちのままアメリカに帰りました。

帰ってから大学の授業開始まで1週間ありました。その間に、アメリカの大学をやめて、日本に帰って通訳の勉強をしたい気持ちが強くなってしまいました。

自分でも、間が悪いにも程があるとは、思いました。

なぜ、夏休みに日本にいるうちに両親に話さなかったのだろうと後悔しました。しかも、サイマルに通うことになったら、新幹線代も出してもらうことになります。

悩んだ末に、やはり、このような状態では新学期を迎えられないと思いました。

両親に、まずはメールを出し、それから電話で話しました。めちゃくちゃ怒られましたが、最後は、そういう気持ちになっているなら帰ってきなさいと言ってくれました。

日本に帰ってから、通信教育でもいいから大学は卒業するという条件だけはつきましたが、そのまま受け入れてくれた両親には感謝しています。

退学手続きや、引っ越しなどを済ませて、9月に日本に帰国しました。

サイマル・アカデミーで逐次、同時通訳のトレーニング

帰国して、そのまま東京に行き、サイマルアカデミーのレベルチェックを受けました。当時はレベル1から7のレベル分けでした。

一応レベル7の判定は受けましたが、英語の強化コースを受けてから通訳準備科に進むことにしました。静岡から週2日、2時間ずつの授業に通いました。

当時のサイマルのカリキュラムは、準備科、入門科、通訳科の前期、後期、同時通訳科の前期、後期という構成でした。ストレートに進学しても3年、英語の強化コースからスタートすると3年半の予定でした。

サイマルアカデミーの通訳養成コースは、カリキュラムとして完成度が高いと思います。そして厳しいです。

同期の12人のうち、同時通訳科の最後まで進学して卒業したのは、2人でした。ストレートで卒業したのは1人だけです。その方は10年以上翻訳をしてきた方で、もともとの知識も表現力も豊富でした。

私は、入門科から通訳科に上がる時に再履修し、同時通訳科の卒業の時にも再履修したので、4年かかりました。英語強化コースも入れると4年半です。通訳のトレーニングには、大学と同じくらい時間がかかります。

サイマル・アカデミーでのトレーニングについては、こちらに詳しく書いてあります。

通訳の訓練は、記憶力のトレーニングから

通訳訓練は、最初は記憶力を高めるところから始まります。

サイマルの準備科では、リテンションとリプロダクションに、ものすごく時間を割いていました。

特に最初のうちは、メモを取らずに覚えておく能力を、徹底的に鍛えます。準備科の4ヶ月のうち2ヶ月は、メモを取らないで記憶する訓練をしました。

当時は、20代前半の小娘でしたし、聞いた内容の背景知識が自分の中にないため、覚えるのが大変でした。政治経済、国際情勢の知識も経験もなく、関連付けながら覚えることができなかったのです。たった2つの文を覚えるのも大変でした。

それでも結局、記憶ができないと通訳はできません。

サイマルで、初期にメモなしで記憶の訓練をしたのは良かったです。おかげで、いざという時にメモよりも記憶に頼る癖がつきました。

もちろん、後には、メモの記号の使い方なども先生がレクチャーしてくれました。

ただし、メモはあくまで記憶の補助でしかありません。同時通訳の時も自分の記憶が役に立ちます。

要約も、入門科の前半まで繰り返し、繰り返し訓練しました。パラフレージングも練習しました。

それらが、ゆくゆくは通訳の技術として役に立ちました。今、通訳をしていても、時間がないときには要点だけと言われることもあります。

厳しかったサイマル同時通訳科の授業

サイマルに入った時は、サイマルの通訳訓練が、どれくらい厳しいものか分かっていませんでした。通訳科や同時通訳科では胃薬が手放せないほどでした。

準備科から通訳科に進級する時、成績が少し足りないと言われながら上げられました。先生方が、上のクラスで揉まれた方がいいと考えたのかもしれません。

通訳科に入ってみたら、周りはできる人ばっかりで、自分は本当にできなくて、きつかったです。

サイマルの授業は、英語力を鍛えるための授業ではなく、通訳技術を磨くための授業です。

サイマルの講師は現役の同時通訳者です。授業の2時間はパフォーマンスの場です。学校がない日に、どれだけ勉強しているかを見てもらう場でした。

授業でバンバン当てられて、通訳のパフォーマンスをして、恥をかいて、その繰り返しでした。

同時通訳科に入ると、通訳訓練用のブースに入ります。ブースに入ると心臓がばくばくしました。

毎回、次の授業のトピックが配られるので、家で単語リストを作って、トピックについて調べ、背景知識を入れていきました。

その他にも、毎日、英語10分、日本語5分のシャドウイングは、欠かさずしていました。

口が回るように、いいリズムで話せるように、聞き取りやすい声質にできるように、シャドウイングは必須です。ラジオのニュースを音源に使ったり、ジャパンタイムズの記事を音読したりしました。

同時通訳のトレーニングは、いかに自分に厳しくなれるかです。

サイマル卒業後の逐次、同時通訳の仕事

通訳は、養成学校を卒業するまでも厳しいですし、卒業したからといって、バンバン通訳のお仕事が来るほど甘くもありません。私も、仕事が安定してきたのは最近です。

通訳のお仕事は、サイマル在学中から少しずつ始めていました。

日本人留学生の病院についていって、少しだけ通訳したこともあります。通訳は楽しいと思いました。

地元のシンポジウムで通訳をさせて頂いたこともあります。精一杯取り組んだものの経験値不足だなと反省しました。自分の力量を知る上で、あの経験は重要だったと思います。

サイマルでは、卒業試験でA判定を受けるとサイマル専属通訳として登録する資格ができます。

私の場合、卒業後は専属ではなく、英語講師のバイトをしながらフリーで通訳の仕事を始めました。サイマルを卒業した頃には東京にいました。東京の方が、もちろん仕事は多いです。

ひよっこ通訳のうちは、いい仕事が回ってくるわけではありません。初めは、イベントや展示会のブース付きの通訳などがメインでした。アルバイトでも務まるくらいのカンタンな通訳です。通訳のレートは、仕事のレベルによっても違います。

そのような仕事も断らないで受けていくうちに、やがて、他にもつながるようになりました。

通訳エージェントを介した通訳のお仕事と、ダイレクトに受けるお仕事

通訳エージェントは、現在4社に登録しています。

エージェントさんが間に入ってコーディネイトしてくれるのは、ありがたいです。エージェントさんが入るとトラブルは少ないです。通訳エージェントのマージンには、そういう安心料も入っていると思います。

エージェントさんも色々です。エージェントさんと、うまく付き合っていくことも、仕事を安定的に続けるうえで大切だなと思います。

通訳の仕事で感じるのは、ご縁の大切さです。エージェントさんとのご縁もありますし、お客さんとのご縁もあります。

通訳さんによってはエージェントなしで、ご縁だけで仕事を取っている人もいます。

私も、個人でダイレクトに通訳の仕事を受けることもあります。自分でホームページを作ってからは、サイトからの依頼も結構あります。通訳さんは、どちらかというと機械が苦手な方が多く、自分のサイトを持っている人は少ないです。

ただし、そもそも一人では同時通訳の仕事を受けることができません。同時通訳には、複数の通訳者が必要ですし、エンジニアさんも必要となるためです。

これまでに、受けなければよかったと思う仕事もありました。サッカーのレフリーのインストラクター講習の通訳です。ピッチに出て走るし、叫ぶし、体力がついていかず大変でした。

スポーツ通訳をしている人向けの仕事だったなと思います。スーツを着て、オフィスで仕事している通訳が、踏み込んではいけない仕事でした。

その時の様子は、こちらに詳しく書いてあります。

通訳のお客さんのタイプも様々

通訳という立場だからこそ、英語に関する色々な需要が見えてくることもあります。

英語ができないから通訳を使う人もいますし、英語ができるけれども通訳を使う人もいます。

クッションとして通訳が使われる場合もあります。交渉の際に、直接のやりとりだと感情がぶつかってしまいますが、通訳を挟むことで、冷静に交渉を続けられることもあります。

実際に、お客さんから、通訳がいてくれるとワンクッションになるからと言われたこともあります。

ある程度英語はできても通訳を使わざるを得ないことに対して、自分に、いらだちを感じている人もいます。

率直に言って、そういう方の場合は、通訳もやりにくいです。下手なことを言うと揚げ足を取られそうな気がして慎重になります。もちろん、どのような場合も常にベストを尽くしています。

お客さんから通訳のパフォーマンスについてクレームがついたことは、ありません。言われないように、気をつけています。

少しずつリピーターさんも増えてきているので、そのようなご縁も大切にしたいです。

テコンドー協会の翻訳、通訳

子供の頃、柔道を習っていたご縁で、空手の仕事をご依頼頂いたことがありました。その仕事がご縁で、今のテコンドー協会のお仕事につながりました。

通訳だけでなく翻訳もしています。表敬訪問について行ったり、大会の誘致から運営、交渉などのスポーツビジネスの世界です。

スポーツ関係者は、外から見ると、ガサツに見えたり、距離が近い感じがあったりするかもしれません。

そういう関係性に、違和感を持たずに入っていけるのは、柔道の経験があるからだと思います。自分も道場に通っていましたから、道場の事情や、体育会系のノリは、よく分かります。

2019年に日本でテコンドーの国際大会があります。テコンドーの大きな大会の開催は、日本は初めてです。オリンピック開催の準備といった位置付けになります。

2019の大会、2020年のオリンピックに向けて、今はテコンドー関連のお仕事がメインになっています。オリンピックが終わった後は、この仕事はなくなりますから、その先どうしようと考えたりもします。

仕事としての同時通訳、逐次通訳の魅力

そもそも、なぜ通訳を目指したかというと、英語と離れたくなかったからです。

一番の原動力は英語が好きなことです。

英語で一番好きなのは音です。アメリカンイングリッシュが好きで、映画を聞いたり、話を聞くのも、音という意味で好きです。少しなまりのある英語も、それはそれで好きです。アフリカ系、インド系、インドネシア系など、少しずつ違います。

もう一つ通訳を目指した理由は、語学系の仕事の中で、通訳や翻訳は花形で憧れの職業ですから、一度そこに手を届かせておきたかったのです。

通訳か翻訳で選ぶならば、音とともにある通訳がいいなと思いました。

聞く、話すというと、やはり音ですよね。翻訳よりも、通訳の方が動きがあって私は好きです。英語の音が好きですから、話すときの発音にも、すごく気を使っています。

通訳をやってみたら、通訳作業自体が好きになりました。子供の頃から記憶力には自信がありました。神経衰弱も得意でした。

通訳の仕事で一番好きなのは、通訳が決まった時のやったー!という感じです。

受け取ったメッセージを確実に、そのメッセージのまま、相手に伝わる表現で伝えられた瞬間は気持ちいいです。

自分が通訳が好きだから、この仕事をしていると思います。

本来は、私自身のやったー!という感じは、副産物であるべきだとは思います。

お客さんのことを考えて、伝わったことで喜びを感じるのが本来の姿だと思います。結局は、聞き手に伝わらなければ通訳がいる意味がないですから。

ただ、自分が決まったと思った時は、相手もちゃんと分かった反応をしてくれます。結果的に良い通訳につながっているかなと思います。

通訳が決まった時の爽快感、やったー!という回数が増えれば増えるほど、ちゃんと伝わることにつながるのではないかと考えています。

逐次通訳は、相手の反応が見える所がいいです。

同時通訳のパナガイドの場合、離れているから反応が分かりません。それよりも、顔が見える人数で逐次通訳をする方が、反応が見えて好きです。

逐次通訳の時の方が同時通訳より、多少は時間の余裕があって言葉を選びやすいということもあります。ほんの少しの違いですが。

通訳をやめたくなったことは、ありません。もちろん小さい失敗をしたり、反省することはあります。通訳は楽しいですから、通訳の仕事は続けたいです。

ただし、原動力は英語が好きなことです。通訳にこだわるわけでは、ありません。

この先、通訳業のみで生き残るためには、専門性を磨いてランクの高い通訳に上り詰めることだと思います。

たとえば、尊敬する小松たつや先生や長井鞠子さんは、70代、80代ですが、もう通訳としては神のレベルだと思います。

そのレベルになろうと思ったら、通訳一本でないと、できないと思います。

一方で、通訳にプラスして他の方向を探る道もあると思います。

仕事としての通訳の魅力については、こちらにも詳しく書いてあります。

通訳の仕事と翻訳の仕事

最近、翻訳の仕事も多くなってきました。

最初のうちは本当に翻訳が苦痛で、しんどいと思いながら翻訳していました。ここ数ヶ月は、ものすごいボリュームで翻訳しています。

翻訳した分、読む力、書く力が付いているのは実感しています。翻訳をすることが、話す時のアウトプットにも影響しています。翻訳の時は、じっくり考えるので、そのプロセスが大事だなと思います。

通訳はスピードが要求されます。その場ではベストの訳が思い浮かばずにセカンドベストに甘んじることも、あります。

また、通訳の場合、ちょっとした間違いは口頭で正せばよいということも、あります。

翻訳の場合は、じっくり時間をかけてベストを探します。そのプロセスも、また大切だなと思います。

翻訳でも、ぴったりの訳が見つかってパズルがはまった瞬間は嬉しいです。

現役の同時通訳者として英語指導の仕事も

英語が好きですから、英語で世界を広げていきたいです。通訳とは別の世界を模索したいとも思っています。

通訳の他の道としては、英語を教える仕事が一番、需要があるのではないかと思います。

今も、仕事のうちの1割くらいは、英語の指導のお仕事もあります。テコンドーのナショナルチームの英語講座や、ビジネスマン向けの講座も担当したことがあります。

通訳の需要自体は、どんどん減っていくだろうなと思います。全体的に、英語ができる人が増えている気がします。

この10年でも、楽天の英語公用化もありました。ユニクロも、昇進のためにTOEICの点数が必要です。

世の中の、自分で英語ができるようになりたいという需要を、すごく感じます。

通訳をしていても、できれば通訳なしで会話したいという空気を感じます。

通訳なしで会話できる所まで英語のレベルが達していないために、通訳を使っているわけです。そのような時は、通訳としても居心地が悪いです。

そういう人のために、英語指導に力を入れていきたいと考えています。通訳を介さずに英語を話したい人たちの、受け皿になりたいと思います。

現役の同時通訳という看板も掲げつつ、英語指導のお客さんも、増やしていけたらと考えています。

通訳だからこそ提供できるコミュニケーション技術や考え方が、あるのではないかと思うのです。

たとえば、交渉や重要な会議などで発言ができるか、きちんと相手の話がわかるかどうかが大切です。

日本人的な考え方と、欧米的な考え方とには、ギャップがあります。通訳を使っている時は、通訳がその溝を埋めています。自分で英語で話すとなると、そこを自分で学ばなければ、いけません。

日本のビジネスの場での会話のリズムは、英語とは違います。その辺りも伝えたいです。英会話というよりも、対話ができるようにするために、コミュニケーション能力が必要ですよね。あとは、発音も大切だと思います。

文法も大切です。生徒さんにも中学文法は必要だよと言うのですが、なかなか聞いてもらえません。

最近の風潮として、聞き流すだけの教材などの文法がなくても英語は話せるというスタイルが流行っていますが、やはり文法は重要です。

私は中学の教科書を暗唱しましたし、基本文法は昔から間違わない自信がありました。高校で留学した時も、それは、すごく役に立ちました。

逐次通訳者や同時通訳者になりたい人へのアドバイス

逐次通訳や同時通訳になりたいと思われている方にも、通訳という仕事を気軽には勧められません。

サイマルの訓練は本当に厳しかったです。5年以上通って辞めていった方もいらっしゃる程です。

さらに、同時通訳になったからといって、すぐに仕事があるわけではありません。

前向きな人は、通訳に向いていると思います。

同時通訳は、どんどん流れて行かないといけない作業です、一つ失敗すると、次の訳がそれに影響されてしまうこともあります。失敗しても、すぐに切り替えて次に行ける潔さが必要です。この点、私は通訳に合っていたと思います。

私のキャラクターの16人のコビトさんは、通訳の16のスキルを表しています。

16人のコビトさんについて、詳しくはこちらをご覧ください。

16人の小人さんたちの中に、パニック担当の小人さんがいます。どこかで起きたパニックを、一旦引き受ける役割なのです。

通訳の仕事をしているときは、一旦パニック担当に預けて、先に進む必要があります。

あとは、人前に出るのが好きな人も通訳に向いています。

あがり症の場合は、絶対に通訳に向いていません。あがり症の方で通訳になりたい場合は酷な話だと思いますが、これは個人個人で違いますし、どうしようもないと思います。

通訳は常に緊張を強いられる職業です。人前で話すのにも慣れる必要があります。緊張した時にも普段通りのパフォーマンスを出せないといけません。緊張で我を忘れる人には向かない職業です。

緊張状態で平常心を保てて、テンションを上げられるくらいの人でないと無理だなと思います。

通訳に向く人、向かない人については、こちらにも詳しく書いてあります。

同時通訳者の英語勉強法インタビュー後記

恵理香さんとは、こじんまりした素敵なカフェでお会いしました。話に夢中になり、カフェの雰囲気を楽しむのも忘れて、2時間話し込んでしまいました。次の予定がなかったら、もっとお話しを伺っていたかもしれません。

同時通訳者、逐次通訳者の素晴らしいパフォーマンスの裏には、それだけ厳しい通訳トレーニングの積み重ねがあるのですね。

だからこそ瞬間的に適切な言葉を紡ぎ出して、伝えることができるのだなと思います。やはりスゴイです。

同時通訳者の山下恵理香さんのホームページは、こちらです。

サイト内にブログもあります。

英語の勉強法インタビューは、不定期に連載中です。インタビューその30から39のインデックスは、こちらのページで、ご覧いただけます。

英語の勉強法インタビューその30から39

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